ボートレース(競艇)史に残る伝説のボートレーサー・植木通彦とは!?その伝説と現在の活動に迫る!

ボートレース(競艇)史に残る伝説のボートレーサー・植木通彦とは!?その伝説と現在の活動に迫る!

植木通彦というボートレーサーを知っているだろうか。

年間SG3勝、賞金王決定戦3勝、19年連続獲得賞金1億円、年間獲得賞金2億8418万4000円など偉大な記録を打ち立てた、ボートレース(競艇)界の偉人だ!

今回は、植木通彦の選手時代の伝説ボートレースアンバサダーとしての現在の活動を紹介していく!

艇王・植木通彦

植木通彦氏とは、元ボートレーサーで現一般財団法人BOAT RACE振興会ボートレースアンバサダーだ。

「艇王・不死鳥」とも言われた、この偉人の歴史を見ていこう。

伝説の始まり

選手時代のプロフィールは以下の通り。

  • 生年月日:1968年4月26日
  • 身長:165cm
  • 体重:51kg
  • 血液型:O型
  • 支部:福岡支部
  • 登録番号:3285
  • 登録期:59

福岡県立小倉商業高等学校を2年生の時に中退。

当時は野球部に所属していたそうだ。

後に、全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(現やまと学校養成所)に入所し、1986年、19歳の時にボートレース福岡(福岡競艇場)でデビューする。

選手としての実績

植木通彦氏の引退式
植木通彦氏の引退式

記録は2007年引退当時のものだ。 生涯成績は以下の通り。

  • SG優勝回数:10回
  • GⅠ優勝回数:23回
  • 賞金王:3回
  • 最優秀選手:3回
  • 最高勝率選手:3回
  • 出走回数:4,500回
  • 1着回数:1,562回
  • 勝率:7.58
  • 獲得賞金:22億6000万円

SGの優勝回数は歴代4位、2002年にはオーシャンカップ、競艇王チャレンジカップ、賞金王決定戦と1年で3つのSG優勝。 獲得賞金が20億を超える選手は、植木通彦・今村豊・松井繁の3人のみ。

優勝したSGは以下の通り。

  • 第28回総理大臣杯(1993年3月23日・戸田競艇場)
  • 第41回全日本選手権競走(1994年10月12日・常滑競艇場)
  • 第10回記念賞金王決定戦競走(1995年12月24日・住之江競艇場)
  • 第11回賞金王決定戦競走(1996年12月23日・戸田競艇場)
  • 第24回笹川賞競走(1997年5月27日・常滑競艇場)
  • 第11回グランドチャンピオン決定戦競走(2001年6月24日・唐津競艇場)
  • 第7回オーシャンカップ競走(2002年8月4日・若松競艇場)
  • 第5回記念競艇王CC(2002年12月1日・津競艇場)
  • 第17回賞金王決定戦競走(2002年12月23日・住之江競艇場)
  • 第32回笹川賞競走(2005年5月29日・常滑競艇場)

また、主な記録は以下の通り。

  • 年間最多獲得賞金額:284,184,000円(1位)
  • 年間獲得賞金1億円突破:9年連続(1位)
  • SG優勝:5年連続(1位)
  • SG優勝:年間3回(1位)
  • 賞金王連続出場:10年連続(1位)

とてつもない記録じゃ・・・。まさに伝説!

凄すぎますね!艇王と呼ばれるのも納得で圧倒的な成績です!

選手としての活動履歴

1986年にボートレース福岡(福岡競艇場)でデビュー。 1989年に、ボートレース桐生(桐生競艇場)でのレース中に転覆した際、後続艇のプロペラで顔をケガし、全治5か月、傷の縫合に75針を要する重傷を負ってしまう。

半年後、レースに復帰する際に避けるのが普通なのだけども、あえて復帰戦の場としてこのボートレース桐生(桐生競艇場)を選んだ。 こういった経緯から「不死鳥」の異名が与えられることとなり、テレビのコマーシャルでは、「平成の不死鳥、植木通彦」というナレーションで紹介された。

1990年にボートレース唐津(唐津競艇場)で開催された「新鋭リーグ戦」で初優勝。

1993年には、ボートレース戸田(戸田競艇場)で開催された「第28回総理大臣杯競走」でSG初優出、初優勝。 ここから1996年には賞金王、1997年には5年連続SG優勝、2002年にはSG3連覇を達成し、年間SG3勝、賞金王決定戦3勝、10年連続賞金王決定戦出場、9年連続の獲得賞金1億円は1位タイ、年間獲得賞金2億8418万4000円は艇界及び公営競技最高記録などの偉大な記録を打ち立てる。

そして2007年。 「第42回総理大臣杯」の優勝戦でフライングをし、1年間賞金王決定戦競走を除く全てのSGへの出場資格を失い、フライング休み明けの2007年6月15日からも、G1の規定に基づきフライング休み消化後、6か月間選出除外となることが決まる。

休み明け、ボートレース鳴門(鳴門競艇場)の一般戦終了後、翌7月19日に引退を発表する。 筆者は当時まだ子供だったのだが、1995年に開催された「第10回賞金王決定戦」を見てほしい! ライバル関係とも言われていた、植木通彦vs中道善博のボートレース(競艇)史上最も熱いと言われるレースが見られる。

当時のボートレース(競艇)を知らないのですが、経歴が凄まじすぎます・・・!「第10回賞金王決定戦」は一進一退の攻防で、漫画の世界です!

現在の植木通彦氏

ボートレースアンバサダー・植木通彦氏
ボートレースアンバサダー・植木通彦氏

現在は一般財団法人BOAT RACE振興会ボートレースアンバサダーだ。

ボートレースアンバサダーとは何ぞやという方向けに「一般財団法人BOATRACE振興会」が公式でコメントを出している。

「ボートレースのイメージアップのため、客との『橋渡し役』としてボートレースの魅力を人々に発信する役割。それとボートレーサーとして『輝かしい実績を残した』レーサーのみ、セカンドキャリアに向けた支援をします。」との事。

つまり、ボートレース(競艇)の魅力を伝える親善大使的な役職だ。

まとめ:伝説の選手・植木通彦氏の今後活躍に期待!

選手として偉大な記録を打ち立て、90年代から2000年初頭までボートレース(競艇)を盛り上げた植木通彦氏。

近年、盛り上がり続けているボートレース(競艇)のボートレースアンバサダーとして、知られざる魅力を元選手の観点から発信しつづけている。

ボートレース(競艇)の魅力を我々視聴者にもっともっと届けてほしい! 更なる活躍を応援したい。

公式のYouTubeは本当に面白いのう!今まで知らなかったボートレーサー(競艇選手)の事をもっと知れるのはありがたいのじゃ。

SNSが流行している昨今、こうやって情報を発信してくれる人は本当にありがたいですね!選手として活動があった植木通彦さんからのレース解説などももっと聞きたいです!

猿川
猿川
神奈川住みの20代後半。
何かに影響される事が多く、元々パチスロが好きでスロットと漫画を見てボートレースにハマる。
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