ボートレースで起きた衝撃的な大事故を紹介!常に危険と隣り合わせ!
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これまで創立されてから約70年と、スポーツの中でも長い歴史を持つボートレース。
日本の経済成長とともに、素晴らしいスポーツへと変貌してきました。
一方で、常に危険と隣り合わせなスポーツとしても知られており、過去には悲しい出来事も多かったんですよね。
本記事では、長いボートレース史の中で、特に衝撃的だった大事故を5つ紹介します!
ボートレースで起きた有名な大事故5選
それでは、これまでに起きたボートレースの有名な事故について5つ紹介します。
これで、ボートレースがいかに素晴らしいスポーツとともに、危険と隣り合わせななのか分かっていただけると思います。
それでは早速、見ていきましょう。
競艇界のニューアイドル・木村厚子さんのボートレース事故
まずは、「競艇界のニューアイドル」と呼ばれていて、1987年のファン投票でミス競艇になるなど、当時非常に人気のあった木村厚子さんの事故です。
2003年、ボートレース7Rで1号として出場した木村厚子さんでしたが、1周2マークの先頭で旋回した際に失速し、後方の選手が避けきれずに接触して転覆。
その後、三重大学医学部附属病院へ搬送され、集中治療室にて治療を受けましたが、頸髄損傷、脳挫傷により38歳という若さで亡くなりました。
絶大な人気のあるレーサーだったので、悲しみの声がボートレース界に広がりました。
私は当時のことをよく知らないですが、そんなことがあったんですね...
当時、木村厚子さんのファンは非常に多く、現在でいう大山千尋選手みたいな人気ぶりじゃったのを鮮明を覚えておるよ
若手のホープ・坂谷真史さんのボートレース事故
坂谷真史さんは過去に優勝14回し、生涯獲得金額も158,107,620円と、ボートレース界でも期待の星として今後の活躍に期待されてました。
2007年、ボートレース住之江で開催された、大阪府都市競艇組合主催G1第50回住之江記念「太閤賞」競走の最終日の一般戦3Rに出場。
2周1マークで2号艇の福島勇樹選手と激しい2番手争いで差し、ハンドルにより抜きを試みた結果、6号艇の山田豊選手との接触により転覆、その後の3号艇も乗り上げて、巻き込まれました。
競走後、大阪市立総合医療センターに運ばれて集中治療室で治療を受けましたが、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症により26歳と若い生涯を閉じることになりました。
これだけの成績を残していると生きたいたらどんな活躍をしていたのでしょうか...
おそらく同期の井口佳典選手や丸岡正典選手のようなボートレース界トップクラスの活躍をしていただろうな
女性ベテランボートレーサー・鈴木詔子さんのボートレース事故
出走回数は約4700回と、女性ベテランボートレーサーとして活躍していた鈴木詔子さん。
2013年、スタート前の練習に向かうためスタート位置に移動。
昇降機からボートをおろし、エンジンをかけた際、いきなり全速状態になってしまいます。
そのままボートが岸壁に衝突し、救急搬送。
山口市内の病院で懸命な治療が行われましたが、脳挫傷で52歳で亡くなりました。
若手選手から人望の厚い選手としても知られていましたよね
温厚で人当たりが良く、女性レーサーの育成にも携わっていたんじゃ
1番最近の死亡事故・松本勝也さんのボートレース事故
おそらく、競艇ファンの中で1番記憶に残っている事故ではないでしょうか。
2020年、ボートレース尼崎の第9Rで、1週目2マークの旋回する際に、波に乗り上げて失速し転覆しました。
後ろから来た艇は避けきれずに衝突。レース後、心肺停止状態で救急搬送されましたが、48歳でこの世を去りました。
目立った外傷がないことから、死因は溺死と判断されています。
直接そのレースを見ていた訳ではないですが、衝撃的だったことは覚えてます
今後の対策に関しても考えさせられるボートレース事故じゃったな
不死鳥伝説の始まり・植木通彦さんのボートレース事故
最後は、死亡事故ではなく、大きな事故から復活を遂げた不死鳥・植木通彦さんのボートレース事故を紹介していきます。
SGレースの優勝回数10回で、生涯金額が歴代5位という素晴らしい実績の持ち主です。
あまりの強さから、「艇王」とも呼ばれていました。
そんなボートレース界トップの実力者も大きな事故を起こしています。
1989年、当時ボートレーサー3年目のルーキーだった植木通彦選手ですが、ボートレース桐生で操作を誤り転覆し、後ろの艇のプロペラで顔が切り刻まれ、全治5ヵ月で75針を縫う大けがをしたんです。
これだけでもすごい事故でしたが、植木通彦さんの伝説はこれで終わりではありません。
その後、復帰戦として選んだのが、事故を起こしたボートレース桐生だったのです。
普通に考えたら、事故を起こしたボートレース場を復帰戦に選ばないのですが、自分を鼓舞するために選んだそうです。
この行動から、不死鳥というあだ名がついたんですって!
えー!事故したボートレース場を復帰戦に選ぶなんて考えられないですよ...!
植木通彦という選手は全ての行動が規格外で知られておるからな!ちなみに、事故したレースのオッズが3連単が30万4770万円という超高配当だったんじゃ!
これまでの死亡事故一覧
上記のほかにも、ボートレースでは大きな事故がありました。
下記は、これまで亡くなった事故と選手の一覧になります。
選手名 | 死亡年月日 | 享年 | 出身 | 登録番号 | 競技場 |
---|---|---|---|---|---|
西塔 莞爾 | 1953年1月7日 | 29 | 三重 | 302 | 児島 |
横溝 幸雄 | 1953年12月24日 | 34 | 長崎 | 37 | 唐津 |
大井手 善信 | 1954年2月25日 | 20 | 佐賀 | 863 | 唐津 |
中島 常价 | 1962年1月6日 | 32 | 福井 | 59 | 琵琶湖 |
小笠原 政敏 | 1962年7月25日 | 28 | 長崎 | 1299 | 鳴門 |
大西 昭 | 1963年7月9日 | 31 | 徳島 | 148 | 常滑 |
川染 一夫 | 1965年2月22日 | 35 | 岡山 | 1106 | 若松 |
和泉 定治 | 1965年3月23日 | 40 | 岡山 | 910 | 児島 |
中井 紘司 | 1965年12月23日 | 24 | 東京 | 1874 | 芦屋 |
半田 弘志 | 1968年5月14日 | 29 | 群馬 | 1371 | 若松 |
中村 五喜 | 1968年10月14日 | 34 | 262 | 262 | 唐津 |
蛇山 清 | 1970年11月1日 | 23 | 徳島 | 2356 | 鳴門 |
石塚 一雄 | 1972年11月12日 | 35 | 静岡 | 1335 | 平和島 |
池田 博 | 1973年10月7日 | 52 | 長崎 | 1100 | 多摩川 |
筒井 博利 | 1977年9月30日 | 31 | 徳島 | 2189 | 若松 |
一瀬 隆 | 1978年8月14日 | 27 | 長崎 | 2467 | 大村 |
花田 龍美 | 1981年8月24日 | 34 | 埼玉 | 2310 | 大村 |
勝股 勇 | 1982年1月23日 | 38 | 愛知 | 1747 | 江戸川 |
安心院 信行 | 1983年1月24日 | 30 | 大分 | 2753 | 三国 |
宮本 力 | 1985年1月3日 | 37 | 栃木 | 2482 | 江戸川 |
清水 正博 | 1989年1月6日 | 23 | 群馬 | 3366 | 桐生 |
水野 定夫 | 1993年11月22日 | 48 | 愛知 | 1822 | 江戸川 |
有吉 貴之 | 1997年9月4日 | 27 | 山口 | 3526 | 津 |
伊藤 公二 | 1998年3月23日 | 55 | 香川 | 1876 | 浜名湖 |
沢田 菊司 | 1999年11月6日 | 48 | 愛知 | 2546 | 平和島 |
木村 厚子 | 2003年5月25日 | 38 | 埼玉 | 3196 | 津 |
中島 康孝 | 2004年3月28日 | 26 | 愛知 | 4029 | 尼崎 |
坂谷 真史 | 2007年2月26日 | 26 | 福井 | 4048 | 住之江 |
岩永 高弘 | 2010年5月14日 | 36 | 長崎 | 3861 | 若松 |
鈴木 詔子 | 2013年11月2日 | 52 | 東京 | 2988 | 下関 |
松本 勝也 | 2020年2月9日 | 48 | 兵庫 | 3529 | 尼崎 |
小林 晋 | 2022年1月12日 | 48 | 東京 | 4026 | 多摩川 |
中田 達也 | 2022年11月6日 | 29 | 福岡 | 4802 | 宮島 |
こうやって見ると、胸が締め付けられるような想いになりますね...。
これ以上増えないために、ボートレース界一丸となって対策したいものじゃな
ボートレースは常に危険と隣り合わせのスポーツ
競艇ファンの方なら分かっているかと思いますが、ボートレースは観客を魅了するスポーツであると同時に、常に危険隣り合わせです。
時には、ボートレースの腕前だけでは回避することが難しい事故もあります。
ボートレース界でもこれまで死亡事故が少なくなるように、下記のような対策に取り組んできました。
- 安全版の設置
- 体調管理の徹底
- 危険行為による罰則の強化
- プロペラや防具服、装具の改良
- ボートレース育成所での徹底指導
それでも、事故というのは完全になくなるわけではなく、レースによる死亡事故は2年に1回のペースで起きているのが実情です。
今後もこういった悲しいことが起きないように、さらなる対策が必要とされています。
2年間に1回のペース...ということはこれまで30名近くの方がレースで亡くなっているんですね...。
今後も少しでも事故を減らすための努力をする必要がありそうじゃな
悲しみを糧にボートレースの安全と発展のために
これまでボートレースでは数々の悲しい事故がありましたが、悲しむだけではいけません。
こういった悲しい経験を糧に、よりボートレースの安全と発展に努めることこそが、亡くなった方へ出来ることではないでしょうか。
今後の対策で、悲しい事故が起きないことを願うばかりです。
たしかにこういった経験をしっかり活かさないと、事故でなくなった方が浮かばれないですよね...。
ボートレース界の今後に是非役立ててほしいものじゃな!
- フジテル
- 東京住みの30歳。湘南とラーメンが好きで、競艇勉強中の1年目新人ライター。
ギャンブルは、パチスロで万枚を複数回達成し、FXなどの投資取引に経験あり。
- 当記事はあくまでも執筆者個人の経験に基づく検証で、当サイトはその正確性・再現性を保証は致しません。競艇予想サイトをご利用の際はご自身の判断でお願いいたします。