現役最年長女性レーサー日高逸子が引退!生涯獲得賞金11億は女子レーサー1位
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今回紹介するボートレーサーは「日高逸子」選手! 2025年8月に引退を発表しました。 生涯獲得賞金は11億円超えで女子レーサー歴代1位を記録しました。
・プロフィールとか本人のことを全て知りたい!
・引退理由や引退後は?
・過去にはどんな活躍をした?経歴は?
・年収や生涯獲得賞金はいくらくらいもらっている?
・結婚相手や子供、引退話などゴシップについて知りたい!
このような視点から、日高選手のことを徹底調査していきます!
日高選手に注目している方は、この記事さえ見ればすべてまるわかり!
日高逸子(63歳)が引退!40年の競艇選手人生に幕
最年長女子レーサーとして艇界を牽引してきた艇界のグレートマザーこと日高逸子(63歳)が、2025年8月21日に現役引退を発表。
翌日22日に自身のブログにて、引退の詳細とともにファンへの感謝を綴りました。
1985年に選手デビューを果たし、40年間もの間艇界を盛り上げ続けたまさにレジェンド選手。
2024年には通算2,500勝を達成し、記憶とともに記録にも残る走りを魅せました。
決して男女平等な世界とは言えなかった時代に競艇選手となり、娘2人を生み育てながらも走り続けた超人です。
40年間お疲れ様でした!
数か月間出走が無かったため引退の噂はありましたが、いざ本当に引退となるとかなり悲しいね~…
たしかに悲しい引退じゃが、年齢のことを考えると頑張りすぎともいえるレベルじゃな!
わしも日高選手の頑張りをみて元気をもらった一人じゃ。
これまでの頑張りに感謝したいのう!
主な引退理由は大けがとモチベーションの低下
引退理由について、日高逸子は報道陣の取材に対し以下のように述べました。
「引退を決めた理由はたくさんあります。
大けがをして今も膝とか足首が痛いし、目も見えなくなってきてフライングはするし、そういう肉体的な面に加えて、優勝もできなくなったし、人と争うのが嫌になってきたというか。
それでもファンからは期待されますからね。
以前はボートに乗るのが楽しくてしょうがなかったのに、最近はそれも楽しくなくなってました」
2023年11月のオールレディースでは、レース中の事故で大けがを負った日高逸子。
そこから復帰したものの、思うような走りができない日々が続きました。
77歳で逝去するまでレーサーを続けた高塚清一を見習い、生涯現役を考えていた時期もあったそうですが、大けががきっかけでモチベーションの低下が進み、最近は走りたくないという気持ちが強まる一方だったようです。
モチベーションの低下が引退を決定づけたといってよいでしょう。
ラストランを見たかった気持ちもあるけど、すっぱり引退を決断するのも日高選手らしいね~!
ファン思いな日高選手だからこそ、走りたくないという気持ちが少しでも湧いてきたら引退するしかないと思えたんじゃろうな。
休養中に世界一周旅行へ!引退後は旅行と家族団らんを楽しむ?
女性ボートレース黎明期から活躍してきた日高逸子(ひだか いつこ)!
現役最年長女性レーサーである日高逸子。
まずはプロフィールをチェック!
| 日高逸子プロフィール | |
|---|---|
| 登録番号 | 3188 |
| 生年月日 | 1961年10月7日 |
| 身長 | 154cm |
| 体重 | 45kg |
| 血液型 | A型 |
| 支部 | 福岡 |
| 出身地 | 宮崎県 |
| 登録期 | 56期 |
| 級別 | A2級 |
デビューから小柄で美人であると大人気。
ですが、きっぱりとした口調に芯の強さを秘めた目。
「あきらめない」ことを常に心においている気高さを感じます。
女性レーサーの地位を引き上げ、様々な面で開拓してきたその功績もあり、つけられたニックネームは「グレートマザー」
ちなみにこれが若い頃の日高選手じゃ!
かっわいい~!アイドルにもなれそうな感じだね~♪
日高逸子はこれまでの経歴や生き様、酒豪であるなどの特徴あるレーサー。
そこから競艇漫画「モンキーターン」のヒロイン、青島優子のモデルになっているといわれています。
【一口メモ:漫画「モンキーターン」】
週刊少年サンデーで1996年~2004年連載をされていた競艇漫画
ちなみに青島優子のもう一人のモデルは中里優子
青島優子は少々酒癖の悪いシーンがあったりするが、その辺が日高選手がモデルとなっているところかもしれんのう~
日高逸子の師匠は2006年に引退した大屋勝利(おおや かつとし)!
ボートレース界では実践の知識と技術を先輩について後輩が学んでいく「師弟関係」があります。
みんなに師匠と弟子がいるのかな?
これは任意じゃから、師匠や弟子がおらん人もいるぞい!
日高逸子は弟子は確認できませんでしたが、師匠はいたようです。
日高逸子の師匠は大屋勝利です!
| 大屋勝利プロフィール | |
|---|---|
| 登録番号 | 1936 |
| 生年月日 | 1943年11月21日 |
| 身長 | 165cm |
| 体重 | 61kg |
| 血液型 | B型 |
| 支部 | 福岡 |
| 登録期 | 62期 |
大屋勝利は2006年に引退、そして2010年ごろに亡くなられたようです。
そっか…なんかしんみり…
大屋勝利の命日に日高逸子は自宅へお線香をあげに行ったことを自身のブログにつづっています。
「フライング3回した私を怒っているだろうなぁと思いつつも、笑顔の遺影を見たら笑ってるかもなと思ったりもして…」
「先輩なら、ホントにお前はアホやなーっていうかもなぁと…」
2人とも仲が良かったようじゃのう~
10年たった今でも命日に自宅へ行くほど、日高逸子と大屋勝利の師弟の絆は大きいものであったことがうかがえますね。
- 日高逸子は現役最年長女性レーサーとして活躍している
- 日高逸子はその強さと美しさで漫画のヒロインのモデルになっている
- 日高逸子の師匠は元ボートレーサー大屋勝利である
若い頃から苦労人!日高逸子の原点となった壮絶な幼少期!
日高逸子は宮崎県都城市の出身で、父、母、兄と4人家族。
父親は国体にも出たことがあるスポーツマンで教諭をし、母親は保育士でした。
実に教育にたけた家庭だったんじゃな~
幸せな毎日でしたが、日高逸子が4歳のころ、事態が大きく変わります。
父親が交通事故で入院、教諭を辞めてしまったのです。
母親が生計を支えることになりましたが、事故の後遺症に悩まされた父親がお酒におぼれ、毎晩激しい夫婦喧嘩が起こってしまうことに。
うぅ…小さいときの大人の大声は怖いよ~
母親は、そんな生活に疲れてしまったのでしょうか。
日高逸子が小学生となった、ある夏休みの朝。
母親は失踪してしまったのです。
何ともやるせないことじゃ…
兄と日高逸子は、宮崎県串間市にいる祖父母に預けられることとなりました。
叶わぬ希望と荒れた生活環境…日高逸子の負けず嫌いの原点
祖父母と暮らし始めた日高逸子と兄。
しかし、入退院を繰り返していた父親は荒れ狂い、庭に臼やテレビを投げるようなありさま。
日高逸子と兄、祖父母は親類宅に逃げ回る生活を余儀なくされていました。
幼い兄弟は寂しさのあまりに近くのバス停で失踪した母親が迎えに来てくれるのではと待つことも。
ただ、そこに母親の姿を見ることは出来ませんでした。
ああ~!ダメ~!見てられないよ~!
祖父母の家計も苦しい状態だったため、日高逸子と兄は新聞配達を始めます。
朝は配達、夜は集金。
家でも料理、洗濯、掃除や稲刈りをやらされるなど、子供ながら遊ぶ暇はありませんでした。
しかし、苦しい生活でも日高逸子は歯を食いしばり耐え抜いていったのです。
この時のことを日高逸子は
「父の暴力、母を失った悲しみ、貧乏生活…」
「そこから抜け出したいという気持ちが私の負けず嫌いの原点です」
「自分の手で何かをつかみたかったし、誰にも負けたくなかった」
と語っています。
強い!その強さがボートレーサーとしても活きておるんじゃな…
何かをつかみたい…日高逸子のターニングポイントとなったテレビのCM!
学生時代は模索をしていた日高逸子。
何かをつかみたい、けれど現実は一つのことに集中できなかったようです。
それはどういうこと?
中学、高校を通してバスケットボール、テニス、器械体操と転々としていた部活動。
高校卒業後は地元の信用金庫に就職をしたものの単純作業が嫌になり1年も持たなかったそうです。
飽き性なところがあったということかのう
将来を考え、上京をして製菓専門学校、旅行専門学校に入学もしましたが、結局将来の方向性は定まらないまま。
上京しても家計の苦しさは幼少期から変わらず、生活費を稼ぐために高時給目的でクラブやラウンジで働き、どうしようもなくなった時にはサラ金に手を出すこともあったそうです。
将来も決まらないし、生活も大変だし…不安しかないよね~
しかし、立ち止まることなく動いているところが日高選手のすごいところじゃな!
日々先の見えない状態だった日高逸子でしたが、天啓がおりたような出来事が!
ある日、ふとテレビを見ていた日高逸子の目に飛び込んできた光景。
それは女性がボートに乗り、爽快に水面を駆け抜ける映像とナレーション。
「ボートに乗って年収1000万円」
それはボートレーサー募集のCMだったのです。
衝撃を受けた日高逸子はCMで流れていた番号に電話。
当時の養成所の受験資格は17歳以上23歳未満で、日高逸子は22歳。
ラストチャンスに全てをかけ、願書を投函したのです。
年齢制限ってそんな若い基準だったかな?
現在は30歳未満となっておるが、それは2009年以降の話なんじゃよ!!
狭き門といわれる養成所試験ですが、日高逸子は一発合格!
わずかな希望を糸を大きくたぐり寄せ、しっかりとつかんだのです。
- 日高逸子は幼少時代兄とともに、父親の暴力、母の失踪、貧乏生活の経験を余儀なくされた
- 将来を定められなかった日高逸子はさまざまな場所を転々としていた
- 日高逸子はテレビで流れていたボートレーサー募集のCMをきっかけに自身の人生を切り開く一歩を踏み出した
日高逸子のボートレーサーとしての歩みはどのようなものか?経歴を大解剖!
日高逸子は現在、63歳の大ベテランレーサー。
ですが、どれほどのベテランでも最初があり素人から始まっているのです。
レーサーの数だけ、その道のりも多種多様。
子供時代からいろいろあった日高選手だから、この先ももっとありそう!
それでは順を追って日高逸子の経歴を見ていきましょう!
日高逸子のボートレーサーの経歴(養成所編)
養成所試験に見事合格をした日高逸子でしたが、実はこれまで全くボートレースというものを知らなかったのです。
えっ?でもCMで見たんじゃなかったっけ?
本人の中では年収1000万円というワードが衝撃だったようで、ボートレースの中身まではわかっていなかったようじゃよ
ボートは時速80キロに達し、転覆すれば水面に投げ出される。
最悪は後方から来たボートに引かれて命を落とす危険性もあり一瞬たりとも気を抜けない…。
日高逸子は入所してから2か月が過ぎても走ることすらままならない状態。
恐怖心が体を覆いつくし、自信喪失してしまった日高逸子にやめるという気持ちが芽生えていったのです。
レーサーが駆け抜けていく姿はカッコいいが、実はスピードも速く、ともすれば命がけで戦うスポーツじゃからのう
うつむいた日高逸子の心を救い上げたのは同郷の教官!
限界が来ていた日高逸子はやめることを決意。
その場で通りかかった教官を見つけ、その想いを告げました。
落ち込んだ時ってとにかく終わらせたくなるよね…
しかし、その教官に声をかけたことがまさに運命の分かれ目。
教官の名は「大崎週一」といい、宮崎県串間市出身だったのです。
なんと同郷の人間がいたとは!
大崎週一は、入所すぐに日高逸子が幼少期のことを書いた作文を読んでいたようで、事情を知っていたようでした。
そしてやめようとしている日高逸子に向けて
「お前の作文を読んだが、帰るところなんてないじゃないか」
「俺も同じ串間の人間だ。頑張ってほしい」
「とりあえず1週間やってみろ。それでダメだったらまた言ってこい」
日高逸子は、自分のことを真剣に考えてくれる人がいることに感激をしたとのこと。
そして再びレーサーとして恐怖心と戦うことを決めたのです。
その後、日高逸子の期で卒業できた訓練生は入所当時の半分。
そんな厳しい養成所時代をくぐり抜け、日高逸子はプロへの扉をたたくこととなったのです。
2024年には2,500勝達成!日高逸子のボートレーサーの経歴(プロ編)
養成所では走ることすらままならなかった日高逸子も、卒業するころにはレーサーとしての自覚をもち、いよいよプロとして踏み出していきます。
まずは近年の日高逸子の優勝歴を表にまとめました。
| 年月日 | 競艇場 | グレード | 開催名 |
|---|---|---|---|
| 2014年1月27日 | 三国 | 一般 | 三国レディースカップ |
| 2014年6月8日 | 戸田 | 一般 | 一般競走 |
| 2014年11月3日 | 児島 | 一般 | 児島ガァ~コピア開設3周年記念競走 |
| 2014年12月31日 | 住之江 | G1 | 第3回クイーンズクライマックス |
| 2015年9月15日 | 芦屋 | G3 | オールレディース マクール杯 |
| 2018年10月13日 | 福岡 | G3 | オールレディース福岡なでしこカップ |
| 2019年12月6日 | 下関 | 一般 | トランスワードトロフィー2019男女W優勝戦 |
| 2020年8月1日 | 芦屋 | G3 | オールレディースマクール杯 |
| 2022年3月11日 | 尼崎 | G3 | オールレディース競走あまがさきピンクルカップ |
日高逸子のデビュー戦は1985年5月23日、芦屋の一般戦。
初勝利をおさめたのは同年、7月27日福岡でした。
その後、デビュー1年5ヵ月で初優出、2年2ヵ月の1987年5月30日で初優勝をしています。
すごく順調に結果を出してる!
同郷の教官があの時止めてくれたからこそ、日高選手も自分がやれることがこれでわかってよかったわい!
【一口メモ:独学で習得したモンキーターン】
ボートに立ち上がり、右足の荷重によりサイドを駆けながらの旋回術。九州地区に荒っぽい男性選手が多かったため、その対策として日高逸子が独学で身に着けた。日高逸子が身に着けた当時は男性でも使用するレーサーは少なかった
そして日高逸子といえば、女性最高峰タイトルを3度獲得しているということ!
- 1989年多摩川レディースチャンピオン
- 2005年大村レディースチャンピオン
- 2014年住之江クイーンズクライマックス
特に「クイーンズクライマックス」は賞金女王決定戦の名称での創立後、初めて大晦日で開かれたのが2014年。
日高逸子はファイナルでトップスタートから1マークを先頭でターンし、突き放す走りで1着ゴール!
みごと賞金女王の証であるティアラを戴冠したのです。
賞金!女王!う~んくるしゅうない!
これこれ、目が金になっておるぞい!
さらに、2024年5月22日鳴門では、女性レーサーで山川美由紀に次ぐ2人目で2500勝を達成!
この喜びを日高逸子はブログにもつづっていました。
「ついに 2500勝することができました~」
「これもひとえに 長年の皆様の応援のおかげです」
「ここまで 私を頑張らせていただき誠にありがとうございました」
レーサーの節目を祝う、水神祭は現場に同支部のレーサーがいなかったため、今回はやらなかったようです。
お祝いでみんなに水へ落とされるやつだね!
祝ってもらうなら、やっぱり仲間たちがいいからのう~
主な経歴をあげていきましたが、これだけを見ても日高逸子が残した奇跡が素晴らしいものであることがわかるでしょう。
- 日高逸子は養成所入所当初は走ることすらままならないほど恐怖にさいなまれていた
- 日高逸子の退所を止めたのは同郷の教官の存在だった
- 日高逸子は1985年5月23日にデビューした
- 日高逸子は女性最高峰タイトルを3度獲得している
- 2024年5月22日に日高逸子は通算2,500勝達成した!
事故、F3、B2降格…日高逸子に次々降りかかる試練!
レーサーとして素晴らしい結果を残してきている日高逸子ですが、同時に多くの事故、苦悩ももちろんありました。
時に引退という言葉が頭をよぎっていくことも…。
そんな日高逸子の引退も危ぶまれた試練を紐解いていきますよ!
優勝目前でまさかの落水事件!
2015年4月戸田で行われたオールレディース優勝戦で、その瞬間が起こりました。
レースは1コースからそのまま1マークをまわり、先頭に立って逃げ切る!というところ。
しかし2周目でプロペラの空回りによる減速が起こり、立て直しを試みるものの、後方からのボートと接触し、日高逸子は落水!
この時の水面への投げ出され方が危険なものだったこともあり、日高逸子は意識のない状態で救急搬送されたのです。
ひぇぇぇ!大丈夫!?
この時は全身打撲で、肺には大量の水が溜まっているという状態だったようじゃな…
日高逸子はそのまま入院することに。
しかし、意識が戻るのもつかの間、自ら退院時期を早めて2週間後にレースに復帰をしたのでした。
スタート力があだに!3度のフライングでB2級に降格!
2020年5月2日、若松で日高逸子は初となる「非常識なフライング」で即日帰郷処分となってしまいます。
非常識なフライングってどういうこと?
通過タイミングが0.05秒以上早くなるとフライングに非常識という言葉が付くんじゃよ!
【一口メモ:非常識なフライング】
スタートタイミングが厳しいボートレース。通常のフライングは0.01~0.04とされており、0.05以上は非常識とされてしまう。これは集団フライングを防ぐために認定されている
ここから7月の蒲郡、9月の福岡でコンマ+01の勇み足をしてしまい、日高逸子はデビュー以来初めてF3になり、B2級降格となってしまったのです。
B2級になってしまうと出走回数が激減してしまい、なかなかA1級の復活が難しいもの。
ですが、日高逸子は地道なトレーニングを続け、2021年2月にレース復帰を果たすことが出来ました。
一難去ってまた一難!次に日高逸子に降りかかったのは病気!
長かったF休みも明け、2021年2月に無事復帰を果たした日高逸子。
2022年の級別審査に向け、83回出走で勝率5.57を記録し、奇跡的にA2級の条件をクリアしていました。
復帰してすぐにランクを上げているの!?
この短期間で調子を取り戻していくところが日高選手じゃな!
A1級昇格が目前となったある時、日高逸子の身体に異変が起こるのです。
倦怠感がとれず病院へいくと「子宮に異常がある」ことがわかりました。
異常って?!
簡単に言えば、ガンじゃよ
日高逸子はブログで「子宮全摘と卵管切除」をしたことを報告しています。
これは6時間に及ぶ摘出手術だったようです。
この時のを振り返り日高逸子は
「がんだったらと思ったら不安で引退もよぎったが、結果は良性でよかった」
と語っています。
女性最年長優勝記録を自ら塗り替え、A1級に返り咲き!
F3と病気とさまざまに見舞われた日高逸子でしたが、無事に復帰。
2022年1月にはA2級になり、そのまま7月にはA1級昇格を果たすこととなりました。
うぇ~ん!なんか感動しちゃう~!
しかも女性60代でのA1復帰は初の快挙なんじゃよ!
2022年3月、尼崎で開催された「オールレディース競走あまがさきピンクルカップ」では60歳5ヵ月で優勝!
この優勝が自身が持っている女性最年長優勝記録を塗り替えたのです!
【一口メモ:ギネス記録】
世界の公営競技において60歳以上の女性の優勝は前例がないため、ギネス記録に申請中とのこと。これが認定されると「世界一」の称号を日高逸子が手にすることになる
タフさがあることが素晴らしいが、これからも長く活躍してほしいと考えると、体には気を付けてもらいたいもんじゃな
- 日高逸子は落水事故で全身打撲、肺に水がたまった状態になったが、後日すぐに復帰をした
- 日高逸子はF3となり、B2級に降格した経験がある
- 日高逸子はF休みの復帰後、子宮にがんがあることがわかった
- 日高逸子は女性60代で初のA1級返り咲きをした
- 現在、日高逸子は自身の最年長優勝記録が前例がないためギネス記録の申請をしている
大ベテラン日高逸子の生涯獲得賞金額と平均年収はどれくらいなのか?徹底追及!
幼少期からの貧乏生活であった日高逸子。
ボートレースに心が動いたのも「年収1,000万円」という言葉でした。
あれだけ辛かったんだもん!強かったらその分ほしいよ!お金!
これだけはっきりとお金というのは逆にすがすがしいもんじゃ
では、日高逸子の生涯獲得賞金額と平均年収を見ていきましょう!
女性レーサー生涯獲得賞金ランキング1位の日高逸子!
2025年の女性ボートレーサー生涯獲得賞金ランキングで日高逸子はなんと第1位!
その金額、11億2,470万円です!
億~!おく~!オク~!やっぱりあるんだそんな金額が!
ちなみに女性で10億越えをしているのは日高選手のほかに山川美由紀と寺田千恵の2人がおるんじゃよ!
年代別ではどうでしょうか?表でまとめてみました!
| 年代別 | 獲得賞金 |
|---|---|
| 2017年 | 27,753,400 |
| 2018年 | 34,704,000 |
| 2019年 | 35,931,500 |
| 2020年 | 21,640,000 |
| 2021年 | F3でB2級降格 |
| 2022年 | 26,931,500円 |
| 2023年 | 26,101,000円 |
| 2024年 | 25,418,848円 |
注)2017年からのデータ
ここから平均年収を出してみると…28,354,321円であることがわかりました。
ちなみにランク別の平均年収は以下のようになっています。
- A1級⇒3,400万円
- A2級⇒1,900万円
- B1級⇒1,100万円
- B2級⇒800万円
2021年でB2級降格したにもかかわらず、2,000万円以上を維持しているというのはさすがです。
2,000万円あったら何が買えるかな~♪ワクワク!
家、車はもちろんその気になれば宇宙旅行も可能じゃぞ!
日高逸子にとってボートレーサーは苦労もありましたが、自分の夢を叶えた大事なものとなったのではと想像できます。
- 日高逸子の生涯獲得賞金額は11億2,470万円である
- 2025年女性ボートレーサー生涯獲得賞金ランキングで日高逸子は堂々の1位になっている
- 日高逸子の平均年収は28,354,321円である
日高逸子は結婚しているのか?旦那や子供は?プライベートを紐解く!
日高逸子は結婚をし、主夫をしている旦那、娘2人がいます。
旦那は名前を日高邦博(ひだか くにひろ)といい、ボートレーサー日高逸子を全面バックアップしています。
じゃあ、一家の稼ぎ頭は日高選手なんだ!
年齢を考えると男が家庭に入るのは最先端なことじゃな!
気付いた方もいるかもしれませんが、邦博さんは旧姓が井上。
日高は妻である逸子の希望で井上から日高に変えたものです。
なんか、ステキ!奥さんの希望を叶えてくれるなんて!
出会いは専門学校!きっかけは日高邦博の片思いからだった!
日高逸子と邦博さんの出会いは、ツアーコンダクターになるための専門学校の時でした。
二人は同級生をして出会い、邦博さんの片思いからの始まりだったようです。
邦博さんは当時の思いを
「僕が単純に彼女を好きになっただけでしたが、将来はこの人と結婚するかもしれないと思い込んで全身全霊で告白しました。」
と語っています。
すごー!もう結婚まで考えていたんだね!
邦博さんから見ると日高選手は、自分にないものを持った魅力的な人だったそうじゃよ
しかし日高逸子は恋愛どころではなく、そこから邦博さんから6回も告白されるも断り続けていました。
6回も!?へこたれないなぁ~
それだけ愛がおおきかったんじゃろう
14年の恋の結末!一人の男が見せた愛の形!
告白を断るも、2人は友人として良好な関係が続いていました。
それから日高逸子はボートレーサーになり、一生独身でいることを考えていたそうです。
ある時のレースの合間。
福岡に仕事で来ていた邦博さんと日高逸子が遭遇。
そして邦博さんは日高逸子の学生時代の愛称と共にこういったのです。
「カンコ、結婚してみようか」
すると日高逸子は
「そうね。井上君がマネジャーになってくれたらいいかもね」
と返したとのこと。
これは?どういうことかな?
日高選手は主婦は無理じゃが、自分を助けてくれるなら結婚してもいいということを伝えていたんじゃないかのう~
邦博さんも一瞬戸惑ったようでしたが、初めて自分を受け入れてくれた姿勢に応えて
「そうだぞ。仕事の送迎から郵便物の整理まで、いいマネジャーになると思うよ」
といったそうです。
日高逸子は邦博さんに、結婚する際に以下のような要望を伝えていました。
- ボートレーサーを辞めたくない
- ファンが親しんだ日高の姓を捨てたくない
- 本拠地の福岡を離れたくない
この要望を邦博さんは
「僕が日高になる」
と、一言で全て受け入れたそうです。
こうして2人は1996年8月8日、末広がりの日に婚姻届を提出。
夫婦としての生活をスタートすることになったのです。
【一口メモ:逸子さん、僕が主夫します!―競艇のグレートマザーに恋して】
日高邦博が妻、日高逸子との出会いなれそめ、そして子育てに至るまでの出来事をつづった書籍。妻の行動に驚嘆し、子供の成長に心を震わせる主夫の奮闘が伺える一冊である。
体の変化から弱気に…その時に力になった2人の娘!
日高逸子には娘が2人います。
長女の優那(ゆな)と次女の萌南(もな)です。
女の子二人かぁ~お父さんが子育てしてたんだもんね~
もちろん家にいる時は日高選手も、ともに子育てをしておったようじゃ
二人ともすでに20代半ばになっており、それぞれ自立しているようです。
日高逸子はレースの結果だけでなく、自身の身体の変化により引退を考えたことがありました。
ある時、トレーニングで縄跳びをやりすぎたことで両膝を痛めてしまったのです。
両膝かぁ~もう嫌になっちゃうよね~
歩くのもやっとの状態で、立ち上がってターンをする「モンキーターン」が難しくなってしまいました。
ある意味日高選手の必殺技じゃからな…
悩みぬいた日高逸子は家族に引退の思いを打ち明けます。
すると「やめないで!」と娘たち。
2人とも母としてアスリートとして尊敬の気持ちがあり、強く引き留めたのです。
あ~、ダメダメ!家族ものに弱いの~!
家族に支えられて今日まで日高選手はやってこれたんじゃな~グズッ!
博士も泣いてる!
ち、違う!ちょっと…花粉症なんじゃ!
幼い頃には家族が崩壊した日高逸子。
しかし今は新しい家族が出来、自分を支えてくれていることに感謝しているようで
「夫はこの上ない理想のパートナー。彼が払った犠牲を無駄にしたくない。それだけは嫌。娘たちも応援してくれている。家族にはレースで恩返ししたい」
と語っていました。
日高逸子らしい形で、幸せをつかんだといえるでしょう。
ボートレース界に打ち立てた「産休」という形
現在、ボートレース界で「ママさんレーサー」は年々増えてきています。
日高逸子が出産した当時は「産休」という制度は無く、日高逸子も産後3か月でレース復帰をするという状態でした。
ええっ!?体力も心配だし、赤ちゃんのことも心配だよね!?
出産のブランクはそのまま欠場扱いになるし、B2ランクからの出直しになる場合もあるという、なかなか女性レーサーの立場が考慮されていなかったんじゃ
こういった状況をうけ、2016年に日本モーターボート競走会で出場規定を改正!
出産で長期離脱したレーサーも、仮にB2級になったとしても復帰前と同じランクの斡旋数が維持されるように。
結婚、出産があると引退が常となっていた時代に日高逸子が現役であることを貫いていった姿が、規定を変えていき、未来の女性レーサーがより活躍できるようになったのでしょう。
- 日高逸子の旦那は専門学校の同級生だった日高邦博である
- 日高邦博は日高逸子の希望を全て受け入れ姓を日高にし、主夫となった
- 日高逸子には2人の娘がいる
- 日高逸子は現在、素晴らしい家族に支えられレーサーとして活躍をしている
日高逸子はX(旧Twitter)をやっているのか?インスタは?グレートマザーのSNS事情を大追跡!
アスリートも個人でSNS発信を行う時代。
日高逸子は何かSNSをやっているのでしょうか?
調べてみると現在、日高逸子は3つのSNSをやっていました!
それは以下のようになっています。
- ブログ
- X(旧Twitter)
- インスタグラム
日高逸子のブログ:「私は あきらめない」
日高逸子を知りたいならば、ブログをチェックするのが一番!
2011年3月から始まっているようです。
ボートに関することや、家族とのこと、実にさまざまな日高逸子の姿が読み取れるものになっています。
「私は あきらめない」ブログ名は公募されて決まったもののようじゃよ!
日高選手にピッタリな名前だよね~!
日高逸子はX(旧Twitter)、インスタグラムもやっていた!
ブログにもっとも力を注いでいる日高逸子ですが、それ以外にもX(旧Twitter)、インスタグラムもアカウントを持っています。
- X(旧Twitter)⇒@kanko3188
- インスタ⇒@itsukohidaka
X(旧Twitter)は主にブログ更新のお知らせ、日常に起こったことをつづっています。
インスタでは日高逸子のオフショットが盛りだくさん!
リラックスした姿を見ることが出来ます。
レースと違う姿を見たい時はインスタがいいかな~♪
ガチファンなら迷わず、ブログを読む!これじゃな!
皆さんはどの日高逸子が気になるでしょうか?
いちどそれぞれのSNSに訪れてみるといいかもしれませんね。
- 日高逸子はブログ、X(旧Twitter)インスタグラムとやっている
- 日高逸子を一番知りたいならブログがおすすめである
- X(旧Twitter)からブログ更新を知ることが出来る
- インスタグラムは日高逸子のオフの顔が見られる
まとめ:グレートマザー日高逸子!家族の支えを力にこれからも駆け抜けていく!
今回は日高逸子のレーサーとしての経歴、そして一人の女性としての道のりもあわせてみていきました。
壮絶な過去に見舞われながら自分の生きる道を模索。
そしてボートレーサーという選択肢を見出し、恐怖と戦いながらプロになっていきます。
それと同時に人生の最高のマネジャーに支えられ、子供たちからも尊敬の念を持たれるほど真っ直ぐに日高逸子はレーサーとして、一人の母親としてその姿を魅せていきました。
現在、63歳となった日高逸子。
しかし年齢という枠すらも超えて活躍をしてくれるのではという期待を抱かせる存在でもあります。
これからも変わらぬ美しさとあきらめない気持ちで、これからも日高逸子には驚かせてほしいと願ってやみません!
- 日高逸子は「グレートマザー」というニックネームがつけられている
- 日高逸子の師匠は大屋勝利である
- 幼少期、日高逸子の家族は崩壊し、祖父母に兄とともに育てられた
- 日高逸子はボートレーサー募集をテレビCMで知って受験をした
- プロになった日高逸子は女性最高補タイトルを3つ獲得した
- 日高逸子の生涯獲得賞金額は11億以上である
- 日高逸子は最高のマネジャーを旦那にし、レーサー生活を支えてもらっている
- 日高逸子には2人娘がいる
- 日高逸子はブログ、X(旧Twitter)、インスタグラムをやっている

- たけ
- 周り友達にはあんまり言ってないけど実は大の競艇ファンです!
競艇って自分の読み通りに展開されると本当に気持ちいいよね。
いずれは友達も競艇沼に巻き込むために日々勉強中だよ。
記事を書きながら僕自身も勉強できればと思ってる!
他の趣味と言えばアイドルとかゲームくらいかな?
- 当記事はあくまでも執筆者個人の経験に基づく検証で、当サイトはその正確性・再現性を保証は致しません。競艇予想サイトをご利用の際はご自身の判断でお願いいたします。